刀:白鞘入り、サーベル拵え付き(特別保存刀剣)
銘:至尊餘鉄帝室技芸員 月山貞一七十六歳謹精錬之(花押)
為 水澤家守 明治四十四年八月吉日
新新刀:上々作:
当社では刀工の出来によって最上作、上々作、上作、普通作を記載しております。
本作の出来は月山貞一としては上作にランクされる作品です。
研磨済み
ハバキ:素銅地一重
登録証番号:大坂4128
交付年月日:昭和26年6月18日
刃長:2尺2寸6分(68.48センチ)
反り:4分5厘(1.35センチ)
目釘穴:1個
元幅:2.41センチ
先幅:1.74センチ
重ね:0.62センチ
時代:明治時代44年
体配:やや細身の反り適度に付いた刀で表に爪と二筋樋とその先に棒樋を彫る。
裏には独鈷と素剣、その先、棒樋を彫る。
地鉄:小板目肌良く詰んで地錵が付き綺麗な地金となる。
刃紋:錵出来逆さ丁字乱れを焼き、足良く働き帽子丸く先尖って返る
特徴:初代月山貞一は摂津の刀匠。本名月山弥五郎。天保七年(1836)二月、江州須越村に生まれ、
七歳にて月山貞吉の養子になる。十一歳頃から修行を始め、二十歳頃には綾杉肌を習得していたと言われる。
明治九年の廃刀令後も作刀ひとすじに進み、明治二十六年にはシカゴ万国博に刀を出品して受賞し、
翌年明治天皇より作品お買い上げとなる。明治三十九年(1906)四月に帝室技芸員に任ぜられる。
彫刻の名手としても有名。大正七年(1918)七月十一日八十四歳で没した。
作刀は嘉永三年(1850)の十五歳から大正七年(1918)の没年までみられる。
地鉄は小板目が良く詰み、無地風になって地沸が付いたものが多く、映りのあるものや柾目肌、綾杉肌などがある。
彫物は最も得意とするところで梵字、剣、護摩箸、旗鉾、草の倶利伽羅など簡素なものから
不動明王、梅龍、倶利伽羅龍、龍虎などの密彫にいたるまで画題も豊富である。貞勝の父としても知られる。
本作は月山貞一による彫りがほどこされ刃紋も青江を思わせる逆さ丁字乱れの出来の良い作品であります。
明治44年当時は軍人や皇室関係者の為に数多くの作品が制作された。
本作は水澤家の注文で出来が良い作品で地金、刀身彫り、刃紋共に優れた作品です。
拵:状態の良い指揮刀
特別保存刀剣




銘:至尊餘鉄帝室技芸員 月山貞一七十六歳謹精錬之(花押)
為 水澤家守 明治四十四年八月吉日
新新刀:上々作:
当社では刀工の出来によって最上作、上々作、上作、普通作を記載しております。
本作の出来は月山貞一としては上作にランクされる作品です。
研磨済み
ハバキ:素銅地一重
登録証番号:大坂4128
交付年月日:昭和26年6月18日
刃長:2尺2寸6分(68.48センチ)
反り:4分5厘(1.35センチ)
目釘穴:1個
元幅:2.41センチ
先幅:1.74センチ
重ね:0.62センチ
時代:明治時代44年
体配:やや細身の反り適度に付いた刀で表に爪と二筋樋とその先に棒樋を彫る。
裏には独鈷と素剣、その先、棒樋を彫る。
地鉄:小板目肌良く詰んで地錵が付き綺麗な地金となる。
刃紋:錵出来逆さ丁字乱れを焼き、足良く働き帽子丸く先尖って返る
特徴:初代月山貞一は摂津の刀匠。本名月山弥五郎。天保七年(1836)二月、江州須越村に生まれ、
七歳にて月山貞吉の養子になる。十一歳頃から修行を始め、二十歳頃には綾杉肌を習得していたと言われる。
明治九年の廃刀令後も作刀ひとすじに進み、明治二十六年にはシカゴ万国博に刀を出品して受賞し、
翌年明治天皇より作品お買い上げとなる。明治三十九年(1906)四月に帝室技芸員に任ぜられる。
彫刻の名手としても有名。大正七年(1918)七月十一日八十四歳で没した。
作刀は嘉永三年(1850)の十五歳から大正七年(1918)の没年までみられる。
地鉄は小板目が良く詰み、無地風になって地沸が付いたものが多く、映りのあるものや柾目肌、綾杉肌などがある。
彫物は最も得意とするところで梵字、剣、護摩箸、旗鉾、草の倶利伽羅など簡素なものから
不動明王、梅龍、倶利伽羅龍、龍虎などの密彫にいたるまで画題も豊富である。貞勝の父としても知られる。
本作は月山貞一による彫りがほどこされ刃紋も青江を思わせる逆さ丁字乱れの出来の良い作品であります。
明治44年当時は軍人や皇室関係者の為に数多くの作品が制作された。
本作は水澤家の注文で出来が良い作品で地金、刀身彫り、刃紋共に優れた作品です。
拵:状態の良い指揮刀
特別保存刀剣



