原文
〈6月9日〉 三秋縋
正しい町
そんなつもりはなかったのに、あなたは反対方向の電車に乗り込んでしまう。いくつかの駅で乗り換え、さらにバスに揺られること数時間、気がつくとあなたは〈正しい町〉にいる。バス停に降り立った瞬間、少年時代の夏の匂いを含んだそよ風が吹き過ぎ、あなたの古い思い出の埃を払っていく。降り注ぐ蝉の声の中に、何か重要なメッセージを聞き取る。初めて訪れるその町を、あなたは自身の故郷以上に懐かしく思う。
当てもなく歩き、交差点に差しかかる。そこであなたは一目惚れというものが実在することを身をもって知る。彼女は朝顔の柄の浴衣を着ている。歩みに合わせて、赤い鼻緒の下駄が涼しげな音を立てる。左手の薬指に光るそれは、何もかもが遅すぎたことを密やかに、しかしきっぱりと告げている。
彼女の傍らには当然、指輪の贈り主である彼がいる。彼女を目にしたときと同等かそれ以上の衝撃を、彼はあなたに与える。なぜなら彼はあなたと瓜二つの魂を持っているからだ。外見はそれほど似ていない。話し方だってまるで違う。それでもあなたは、自分という人間の取り得た可能性の形の一つが彼なのだと、一目見たときから確信している。
正しい町に属するあなたと、間違った町に属するあなたの目が合う。こんにちは、と向こうが挨拶する。それから何気ない調子で言う。「あなたは間違ってしまったんですね」。あなたは肯うなずき、同じように返す。「あなたは間違わずに済んだんですね」。それ以上の言葉は必要ない。二人の人生はそこで交差し、以後二度と交わることはない。別れ際に、彼女が振り向いて小さな微笑みを分け与えてくれる。その笑みがもたらした温かい痛みを、あなたは後生大事に抱えて生きていくことになる。
来た道を引き返し、あなたは〈間違った町〉に帰り着く。昨日まではそんな名前ではなかったのに。間違った町には色も香りも音楽もない。古い雑誌の一ページのような物悲しい倦怠が、土壌の奥深くまで染み込んでいる。季節の変わり目や何かの記念日、あなたは折に触れて正しい町に、そこにいた正しい自分に思いを馳せる。不思議と、嫉妬の念は湧き起こらない。あの町の本当の美しさを見ることができるのは、あの町を思ってこれほど心を痛めることができるのは、〈正しい町〉の正しさをわかっているのは、自分だけだと知っているからだ。
明かりを消して、あなたは眠りにつく。せめて正しい夢が見られますように、と祈りながら。
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