天声人语吧 关注:129贴子:253
  • 0回复贴,共1

【天声人语】飛鳥時代の「九九八十一」(2024年9月8日)

只看楼主收藏回复

ひらがなカタカナの成立前に生まれた万葉集は、すべて漢字で記されている。いわゆる万葉仮名だ。中には、なぞなぞのような表記もあっておもしろい。ある一首は、人知れぬ恋が顔色に「山上復有山」ば、と書かれている。山の上にまた山で「出」。出(い)でば、と読む▼
早在日文平、片假名出现以前诞生的《万叶集》,是用汉字写成。但此汉字非彼汉字,被称为万叶假名。其中,有些内容仿佛谜语,十分有趣。有一首和歌这般写道:隐秘的思念浮现于脸庞。原文中,将表示浮现、出现意思的“出(で)”写作“山上复有山”,读作“いでば”。从字形来看,“出”不正是由两个“山”字相叠而成吗。
こちらはどうだろう。あの人と一夜とて別には過ごせない、「二八十一」ないのに――という相聞歌だ。答えは「憎く」。八十一をククと読ませるのは、かけ算の九九によるそうだ。「二二(シ)」と読むのもあって、あの暗記法はどうも古くからあるらしい▼
再来看看下面这首相闻歌——与妻子共度新婚之夜,满心欢喜,再也不愿与她分离,妻子是如此甜美可爱。其中,原文将表达情感的“憎く”写作“二八十一”,读作“にくく”。“八十一(はちじゅういち)”读作“くく”,似乎由九九(くく)乘法而来。也有将“二二(にに)”读作“四(し)”的,同样由九九乘法背诵口诀而来。这口诀似乎自古便有。
注:相闻歌是《万叶集》中的一种题材,是亲友、恋人间互相问候的诗歌。此处原文为:若草の新手枕をまきそめて夜をや隔てむ二八十一あらなくに。
奈良県の藤原京跡で見つかっていた木簡は、九九の一覧表の一部だった。新たに判明したと先日の記事にあった。大きさからすると、古代の役所に置かれていたという▼
前几天报道了一则新发现。在奈良县藤原京遗址发掘的木简,是九九乘法表的一部分。从其大小来看,或是存放于古代政府机关之中。
九九は中国から伝わり、当時の役人にとってはすでに基礎的な教養だったそうだ。確かに、税の計算をするにも物の管理をするにも、四則演算は必須であったろう▼
据说九九乘法表从中国引入,当时已经是官员必备的基础知识。确实,无论是计算税金还是管理物品库存,都离不开四则运算。
でも覚えが悪いのはいたはずで、人知れず「ニニンガシ」「ニサンガロク」とそっと繰り返していたに違いない。我が身をふりかえれば、運良く九九はすり抜けたが、高校での三角関数には泣かされた。サインコサインタンジェント。呪文のような公式は、何度聞いてもこんがらがった▼
不过,肯定有无法快速掌握运算规律的人,会在背地里偷偷重复着“二二得四”“二三得六”的乘法口诀吧。回想起来,我们那时候虽然很幸运地逃过了九九乘法口诀这关,却还是躲不过三角函数,令高中生涯苦不堪言。正弦(sin)、余弦(cos)、正切(tan),这个咒语般的公式,无论听多少次都令我头昏脑胀。
万葉集ならば「二二苦八苦」と書くところだろうか。四苦八苦。数字や記号を丸のみする大変さは、いつの時代も変わるまい。古代の役人に会えたら「よう、ご同輩」と、励ましあえる気がする。
如果放在《万叶集》中,三角函数或许会写作“二二苦八苦”吧。取“四苦八苦(千辛万苦)”之意。要将数字和符号死记硬背下来,无论对哪个时代的人来说均属不易。若是见到古代官员,想必我们会相互鼓励道“嗨,大家同是数学人”。
单词解析
1.判明「はんめい」
明确,弄清楚。
【例句】事実が判明した。
2.すり抜ける「すりぬける」
擦过去,混过去。
【例句】オートバイが狭いところでも、すり抜けられて便利です。
3.こんがらがる
乱,紊乱,乱成一团。
【例句】話がこんがらかる。
4.四苦八苦「しくはっく」
非常苦恼。千辛万苦。(佛教的)四苦八苦。
【例句】四苦八苦の目にあった。
5.丸飲み「まるのみ」
囫囵吞枣,不理解而死记硬背,不假思索地轻信。
【例句】話を丸飲みにする。
【翻译心得】
原文:ある一首は、人知れぬ恋が顔色に「山上復有山」ば、と書かれている。山の上にまた山で「出」。出(い)でば、と読む。
译文:有一首和歌这般写道:隐秘的思念浮现于脸庞。原文中,将表示浮现、出现意思的“出(で)”写作“山上复有山”,读作“いでば”。从字形来看,“出”不正是由两个“山”字相叠而成吗。
分析:为了符合中文行文习惯,调整了译文顺序。原文“書かれている”和“読む”中间隔了一句解释字形的话,翻译时将“读作”提前,紧接“写作”,将解释字形的话后置,使译文更流畅。
【背景知识】
最古級の「九九早見表」と判明 飛鳥時代の木簡、藤原京から出土
藤原京左京七条一坊跡(奈良県橿原市上飛騨町)から2001年に出土した飛鳥時代末期の木簡1点を奈良文化財研究所(奈文研)が再調査した結果、当時の役人が使っていた「九九早見表」の一部とみられることが分かり、同研究所紀要で4日公表した。担当した桑田訓也・主任研究員(古代史)によると、最古級の九九早見表の確認例。律令国家で九九が広く用いられたことを示す貴重な史料という。
木簡は長さ16・2センチ、幅1・2センチ。縦書きで1行に文字群が3段分書かれ、肉眼で「十一」「六」「六八」の計5文字のみ判別できた。奈文研は当初、1段目を「九々(くく)八十一」、3段目を「六八卌(しじゅう)八」と推定。九九を練習したメモ代わりの木簡と解釈した。
桑田主任研究員が2023年7月、最新の赤外線観察装置で再調査した結果、読めなかった2段目は「四九卅(さんじゅう)六」と判明。三つの九九の規則性から木簡はメモでなく、古代中国で使われた九九早見表の右上部分とみられることが分かった。元の表は長さ32・6センチの木の板に「九々八十一」から「一々如一(いちいちはいちのごとし)」まで主要な九九37個を列記。大きい順に右から左に5行8段で書いていたと結論づけた。
01年の発掘では役所跡と木簡約5000点以上を発見。木簡の数はその後、約1万3000点に増えた。木簡の内容から遺構は法典「大宝律令」が制定された701年ごろのものとみられ、役所は藤原宮の門の警備に当たった「衛門府」と考えられている。警備を行う「衛士(えじ)」は数百人もいたことから、九九早見表は事務官が衛士の勤務管理のための計算に使ったもので、役所の壁に掛けるなどして共用されたとみられている。
九九は春秋時代(紀元前8~同5世紀)の中国で成立。日本伝来の時期は不明だが、大型古墳築造には九九など数学の知識が必要だったとみられている。
桑田主任研究員は「藤原京では一部の技術者だけでなく、一般の役人まで九九を日常的に使っていたことを示す史料。現代と同じく当時の役所でも勤務管理は一苦労で、事務官は早見表を傍らに計算に苦闘していたのだろう」と話している。


IP属地:湖北1楼2024-09-09 09:38回复