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《最后的大魔王》这一段什么量级?有稳定无限盒子吗?

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例如,“大象在空中飞翔”、“希特勒在西历2000年访问了巴宝里”等两篇文章,在现实中是不可能的,但在语法上是成立的。如果大象是飞行生物的话,如果希特勒没有死的话,作为现实也是成立的。把它们作为可能存在的世界来认可。这样一来,世界上就包含着无限的可能性。可以认为它们作为平行世界无限存在。———就这样,现实变成了现实。认识现实需要故事,因为这里产生了与他人的关系。但是,阿九斗从那里重新构筑故事的可能性需要无限的岁月。当然,要尝试所有的故事。—————当然阿九斗大人……已经复活了……!那么,初代魔王也……。不二子想起那个时候,更加发抖了。继续读手记。在更可怕的方向上,不知是谁的所长的思考在前进。作为兵器,系统的计算机神的网络的一部分被生出了的魔王,为何变得有那个力量?为此,有必要考虑一下自同律。自同律。正如所说的那样,也就是说,这是自己是自己的事情难以动摇的原则。作为自己思考的实体的自己没有动摇,这是这个世界存在的证明。但是,如果世界是谁的梦想会怎么样呢?那个答案也很简单。世界是由那个世界记述者的自同律产生的。那么,世界是?世界是虚假的。但是,同时,从虚假的世界内部来看,这是绝对的真实。从外面虚伪。内心是真实的。在这里,试着从外侧将世界视为虚假。世界的开始是怎样的?自同律排除自同律以外的一切的结果,只有与自同律相对的自己。这才是原初的一个人。有做梦者的世界的又有做梦者的世界的又有做梦者的世界的……即使有无限延续的锁链,只要有面对独自同律的自己,那就是原初的一个人。正是其中之一,是吞噬了存在的一切和生的一切的一个人。要说是神的话,那是太孤独的一个人。纯朴潇洒的单身汉。那么,世界是?那个自同律附带的杂乱的东西……这才是世界。即使世界是根据自同律的虚伪,那个虚伪也有可能是拥有自己的生命。不,超越自同律的意志才是普遍的。而且,如果每个人都是自由的,就会出现想要知道世界真相的人。在这个世界上,它是作为系统的计算机之神。电脑神自问。不是生命体的自己能有自我,不是这个世界虚伪的证明吗?然后,电脑神生出了魔王。揭露这个世界的虚伪,超越“死亡”,将电脑神和人们带到真实世界的人。那才是魔王。
(原文放2楼)




IP属地:河南来自Android客户端1楼2024-03-24 18:38回复
    例えば、「象が空を飛ぶ」「ヒトラーは西せい暦れき二〇〇〇年に巴ぱ里りを訪問した」というようなふたつの文章は、現実には有り得ないが、文法としては成り立つ。もし、象が飛行生物であったなら、もしヒトラーが死ななかったなら、現実としても成り立つ。それらをあり得たかも知れない世界として肯こう定ていしていく。すると、世界には無限ともいえる可能性が含まれていることがわかる。それらは並行世界として無限に存在していると考えてもよい。
    — — —
    こうして、現実は現実となった。現実を認識するのに物語が必要であり、ここに他者との関係性が生まれたからだ。 しかし、そこから物語の可能性を阿九斗が再構築していくのには無限に等しい年月が必要だった。当然ながら、あらゆる物語を試ためさなければならなかったからだ。
    — — —
    ――もちろん阿九斗様は……復活……を果たしている……! ならば、初代魔王も……。 不二子は、あの時を思い起こし、さらに震えた。 手記を読み進めていく。 さらに恐るべき方向に、誰とも知れぬ所長の思考は進んでいく。 兵器であり、システムたるコンピュータ神のネットワークの一部として産み出された魔王が、なぜその力を持つようになったのか? それには、自同律について考える必要があった。 自同律。 言葉通りならば、すなわち、自分が自分であることの動かしがたい原則のことである。 自分が思考する実体としての自分であると揺ゆるがないことが、この世界が存在することの証明であることはすでに触ふれた。 だが、世界が誰かの夢である場合はどうなるか? その答えもまた簡単だ。 世界は、その世界記述者の自同律によって産み出されたものであるのだ。 ならば、世界とは? 世界は虚偽である。 だが、同時に、虚偽である世界の内側から見れば、それは絶対の真実となる。 外からは虚偽。内側からは真実。 ここでは、世界を外側から、虚偽として眺めてみよう。 世界のはじまりとはどのようなものであったか? 自同律より自同律以外をすべて排はい斥せきした結果、たった一人自同律と向かい合う自分自身がいる。それこそが原初のひとり。夢を見ている者のいる世界のまた夢を見ている者の世界のまた夢を見ている者のいる世界の……無限に続く連れん鎖さがあったとしても、たった一人自同律と向き合う自分自身があれば、それは原初のひとりなのである。 そのひとりこそが、存在のすべてと生のすべてを飲み込んだひとり。 神と言い換えるにはあまりに孤こ独どくなひとり。 純じゆん粋すい単独者。 ならば、世界とは? その自同律に付帯する雑多なもの……それこそが世界ということになる。 世界が自同律による虚偽であったとしても、その虚偽が自じ我がを持つ生命であることはあり得る。いや、自同律の意志を超えることこそが普ふ通つうだ。そして、各おの々おのが自由であれば、世界の真実を知ろうとする者が現れる。 この世界において、それはシステムたるコンピュータの神であった。 コンピュータ神は自問した。 生命体でない自分が自我を持ち得るのは、この世界が虚偽である証明なのではないか? そして、コンピュータ神は魔王を産み出した。 この世界の虚偽を暴あばき、〝死〟を超ちよう越えつし、コンピュータ神と人々を真実の世界に連れて行ってくれる者。それこそが魔王なのだった。


    IP属地:河南来自Android客户端2楼2024-03-24 18:39
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      IP属地:河南来自Android客户端3楼2024-03-24 18:39
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